朝ご飯はヨーグルトだった。昨日の夕飯は結構食べたから、ちょうどいいはず。
前回の記事を書き終えた後、運動をしてきた。今日は予定が何も無いので、時間的に余裕を持って楽しむことができた。運動後のプロテインがうまい。しかし、どうも体力の消費が激しい。なんでこんなにふらふらするのだろう。
おっと、昼食を食べ忘れていた。単なるエネルギー不足ということか。ということで、読書・勉強がてらカフェにでも行ってきます。
こういうどうでもいい記事をブログに載せるのってどうなの?と思うが、それが自分のブログのスタイルだからと割り切ってしまおう。
Archive for 4 月, 2009
祝日
教育の目標地点
(注)私は教職課程を学んだことは無いので、非教育者が書いているコラムになります。
この世の中には、たくさんの人間がいます。そして、価値観もたくさんあります。正しい価値観というものがあるかのように教育システムなどは構築されているわけですが、それによって授業に集中しない生徒や、勉強が好きになれない生徒が出現するのではないでしょうか。
教育を与える側の人間が、つまりは教師が、世の中に違う価値観を持った人間がどれだけいるのかということを知らなければ、その人はただの傲慢な教育的独裁者になってしまうのではないかと思います。教師自身の価値観が正しいと考え、それに従わない生徒を、落ちこぼれとか、不良生徒とか考えてしまうのです。
真面目な生徒、お調子者な生徒、集団行動が嫌いな生徒、世の中に背を向ける生徒、教師に依存しないとやっていけない生徒・・・たとえば、これだけ違う性格の生徒たちが一つの場所にいる場合、そこでの教育というものは、本当に難しくなるのではないでしょうか。
読書をしていると、様々な筆者に出会います。筆者がそれぞれ自分の少年時代を振り返るときがありまして、そのときのエピソードを見ると、価値観の違いというものがよくわかります。「お調子者だった人が大人になると、やっぱり面白い性格になる」とか、「集団行動が嫌いだった人は、大人になると人間嫌いの哲学者になる」とか、「真面目だった人は、大人になると頭が固い人間になる」とか、色々出てきます。少年時代のときから、人は違うものです。
人は違うのだから、画一的な教育システムなど構築することはできないのです。かといって、自由にさせるのも考えものです。柔軟性のある教育システムが作られたとして、そこで各生徒に合わせた教育を提供できるのは、教師の力加減だと思います。ということで、教師が頑張らなければならないと思います。そのためには、教師は「世の中にはたくさんの性格がある」ということを知らなければなりません。
幅広い作者からの読書をしない教師は、「世の中にはたくさんの性格がある」ということに気がつかないのではないでしょうか。読書をするといっても、いつも同じ筆者の本ばかりを読んでいれば、その筆者の考え方が正しいものだと考えてしまいかねません。ですから、本をたくさん読む、つまり濫読というものは必要なのです。
中島義道と林雄司は、共通点が見つからないくらい違う人だし、養老孟司と石原千秋だって全然違う。イチローと久米宏だって大違いだ。っていうか、哲学者、ウェブマスター、解剖学教授、国文学教授、野球選手、アナウンサーって、どういう組み合わせだと思う。まあ、そういうごちゃごちゃな性格が混じり合ったのが、この世界なのです。
ところが、最近の私立高校は、同じような性格の生徒ばかりを集めているような気がする。そういった環境で過ごしていくと、その環境での常識という物が生まれてくる。そして、そこで身につけた常識が、社会全体の常識であると勘違いして、大学生や社会人として生きていくことになる。これは、ますます教育システムが失敗していくような気がして恐ろしい。自分のいる環境と、他人がいる環境は違うのであり、常識も違ってくるのだということを、どうにかして教えられないものだろうか。
この間、とある高校生が、「できれば一番難関な大学に入学したい。そこでは他の大学とは環境が違うはずだ。刺激のある環境に自らを置くことで、成長ができるかもしれない」と言っていたのを聞いて感動した。この高校生は、「環境」というものが大学によって異なることを知っていて、様々な環境の中で魅力的なものを選択したのである。学生や生徒が、自らの力で「選択」できるようになる。この力を与えるのが教育ではないかとふと思った。
309カフェ
さんまるきゅーカフェに久しぶりに行った。
ドトールばかり行っていると、ドトールの店員に顔を覚えられそうだからである。それくらいドトールには行っている。
さん○くカフェはあまり好きではない。店員の私語がやかましいのだ。客商売なのに、客に不快な思いをさせる。イライラして仕方ない。
今日はその店員がいなく、ゆっくり読書でもできるかと思ったのだが、店の機械がずっと「ぴーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」と鳴っていた。耳鳴りを延々と聞かされているような気分になる。あれは5分以上続いていたと思う。機械を止めろよ。
年を取ると聞こえなくなる着メロとか、虫の嫌いな音波とかと同じようなピー音だった。もしかすると、レジの人やお客の大半がおばさん世代だったから、全然聞えないのだろうか?隣に座っていたビジネスマンも不快な顔をしていた。
仕方ないので、勉強のきりが付いたところで、アイスティーを一気に飲み干してカフェを出た。本当に不快なカフェだ、あそこは。行くたびに、嫌な気分になる。運が悪いだけかもしれないが。
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本屋さんで複雑系についての本を探した。複雑系という世界には大学四年のときに触れた。最近、ちょっと気になる内容なのだ。結局あまり見つからなかったけれど、参考文献のリストはネットで手に入れた。