養老孟司・太田光 『人生の疑問に答えます』
養老孟司は好きな著者の一人だ。『バカの壁』を初めて読んでから、その社会批判のまなざしに惹かれて著作を結構読んでいる。本書は人生相談を受け付け、養老孟司と太田光がそれぞれ相談に乗るという感じである。職場で上司とトラブルを起こす20代後半から、退職した後に居場所を無くした60代までの質問が中心で、今23歳の自分にとっては、これから人生に起こりうる問題を垣間みた気がした。そしてそれに対しての養老・太田両氏の考え方も参考にできそうだ。
「今の人たちは他人の顔を見過ぎだ。」
他人からの評価がどうだとか考える前に、しっかり働けということだそうだ。確かに、周りの評価ばかり気にして、本質を失っているようなことがあると思う。
「今の自分を絶対視していないか」
人生を進めれば、自分の考え方や価値観というものは変わるはずなのに、それを知らないから今の尺度だけで物事を考えてしまうという、これまたなるほどという批判だ。
「今の親たちは、子供が学校に行き、変わって帰ってくるなんて思っていない。」
学校は子供の成長の場である。しかし、今親たちはそうは思っていない。たんなる大学に進むまでの知識を与えるだけのように考えている。だから、子供の頭の中が変わるとは思っていないので、子育てに失敗する。子育てって確かに最近は難しそうに見えるけれど、それは子供とは元来「自然」であるというのを忘れているからかもしれない。このテーマに関してはこの本は面白いと思った。参考にしたい。
「昔の先生は、「先生」という社会的役割を必死に演じていた。」
今の先生は、「先生」らしくない。子供も先生を尊敬しない。ということは、社会が「先生」を必要としなくなったということになり、もしかしたら「先生」なんていう職業が無くなってしまうのだろうか。自分は先生だから子供のお手本になるようにするぞ!という気持を持つ人も少ないんじゃないだろうか。
「問題が問題で無くなるのが悩みの解決」
悩みって言うのは、考え方を変えれば無くなるそうである。だって、絶対にあの子じゃないといけないと思っていたが、失恋したあと何年かたてばさっぱりしているじゃないか。という説明は納得してしまった。考え方を変えれば良いのである。太田はそういうタイミングはアクシデントを使えば良いと言っていた。学校を変えるときとか、自分を変えるチャンスかもしれない。自分を変えれば悩みも消える?
「団塊世代が退職した後、働きたければ働けば良い」
「そして、働きたくない、休みたいというひとは休めば良いのです。」
これは正論。働きたかったら働いてもらえれば良いのだ。給料が低くてもいいから相談役とかで働いてもらったほうがいいよと言っていた。そうだよね。
「子供には、絶えず手を加えては反応を見るという繰り返しが必要。しかし、手入れするのではなく教育というプログラムを組んでそのプログラム通りにやればいいというのが今の論議」
つまり、学校での子育てがマニュアルかされていて、子供を物として扱っているということなのだろうか。子供は成長するし、いろいろとおかしなことをする存在だと認識していないからずれが生じて問題が起こるのだろう。
「若い人が三年で会社を辞めてしまうのは、年寄りが多くて頭が重くなるから。でも、年寄りには会社以外に居場所が無いから、やめることができない」
リタイアしたところでどうすればいいのかというのがわかっていないから、年寄りは会社を辞められない。年寄りがいなくならないから若者は、何かとしんどい。老後の過ごし方ということへの指針がないから、どうしようもない行き詰まりが起きているのかもしれない。
「どちらにしようか悩んでいるうちはまだよい。悩む余裕があるのだから。」
本当にどうしようもないときは悩む余裕しか無いらしい。そう考えると、今現在が明るく見えるね。
Archive for 3 月, 2009
養老・太田『人生の疑問に答えます』
毎日更新の理由
なるべくタイトルで記事の中身がわかるようにしようと思う。曖昧なタイトルにして人の気を惹くのはやめよう。(いつまで続くかな。明日にでも忘れてるんじゃないか。)
ブログをよく書くねとか、ブログ毎日見てるよー、すごいねーと言ってくれる友人が結構いる。毎日書くことがすごいというのは、あまりピンとこない評価だ。だって、どうでもいいことを毎日書いているだけなのだから。
毎日書くのは理由が無いわけではない。毎日の記録を書くことで、日々の心境の変化に気がつくことができる。人間とは変わるものなのだから、昔の日記を見直したりするとその変化に驚くはずである。そういう驚きが楽しい。
あと、文章を書くことで、自分の日本語運用能力を向上させることはできないかと思っている。議論するときは論理を考えて書くし、面白いことを書くときはできるだけ面白いようにしようとする。全部実験みたいなもんだ。
さらに、ブログは不特定多数の人が見ることができるので、なるべく個人的な内容は慎もうとしなけらばならない。この作業が結構面白いのだ。試行錯誤するというか、何というか。まあ、要するに、自分の外面と内面をうまく分けているような感じだ。自分が外部にどう見えているのかを考える上で必要だ。
たまに大丈夫かなと思うのが、コメント欄に個人を特定できるようなことが書かれないかと思うことだ。mixiの感覚で書くと、かなり危険である。mixiが流行りすぎるというのは問題なのかもしれない。
とりあえず、毎日書いているのは習慣だからであって、別にすごいことではないということだ。でも、更新が多いブログとそうでないブログを比較すれば、前者のほうが面白そうな感じがするのは普通かもしれない。他人の話に耳を傾けているような感じだ。日常でそういうコミュニケーションが足りていないから、自然とブログを読むようになるのかな。